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Author:モノレブ
絶版ミニカーを中心に通信販売しております、Mono-Revです。
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| 本日の追加品は〜11月7日 日野ブランドの小型車 |
←日野コンテッサ1300デラックス(TLビンテージLV-09b)
日野自動車はもともといすゞ自動車と同じ会社でした。戦時中は戦車などを作っていました。日野にあった製造所が1942年に日野重工業として独立、戦後の1946年に日野産業に名称変更しています。その後数度の変更を経て現在の名称は1959年に変更されたものです。当時のトヨタと同じく、工販別会社でした。
戦車用のエンジンをトラック用に転用し、大型トラック・バスを中心に展開をしていた日野が、乗用車生産に乗り出すために、ルノーと提携したのは1953年のことです。ノックダウン生産(部品を輸入して組み立てる)から始まり、国産部品の使用率を徐々に上げ、乗用車生産の技術を習得していきました。日産(オースチンA40)やいすゞ(ルーツのヒルマン)もこの辺りは同様です。
ルノー4CVで得た手法をそのまま自社開発のモデルに発展させたのが、1961年発売のコンテッサ900です。お手本と同じリヤエンジン・リヤドライブのクルマで、今見るとほとんどの人が「これはヨーロッパの旧いクルマだ」と思うかもしれません。4ドアセダンで、小型タクシーにも使われました。
更に大きなモデル、コンテッサ1300を発売したのは1964年。外国人デザイナーによるボディ・デザインは、翌年追加のクーペで更に美しさを増幅しました。スタイルは良いけれど、リヤのグリルはなんとも無骨な印象なのが惜しいクルマです。コンテッサ900もしばらく併売されました。
コンテッサ900、1300ともにヨーロッパや南アフリカ、アジア地区に全生産量の2割近くが輸出され、米国進出も計画されていました。
1966年、トヨタとの業務提携で日野自動車は自前の乗用車生産終了を決定。製造ラインのあった羽村工場では1967年でコンテッサの生産を打ち切りました。
1トンピックアップの日野ブリスカ(FH100)は、1967年に新たに完成した小型車専用工場で「トヨタ・ブリスカ(GY10)」と名を変え生産は続けられました。このクルマはハイラックス(RN10)の元祖と言えるクルマですが、1968年にRN10が登場するまでの1年ほどで生産終了しています。 以後、新工場では初代ハイラックス(RN10)やパブリカバン、カリーナが生産され、現在はFJクルーザーが作られています。
本日の追加、補充は以下のとおりです。 ●トミカ黒黄箱・・・1種 ●トミカ赤白箱・・・2種 ●トミカくじ・・・2種 ●トミカセットばら・・・2種 ●トミカリミテッドビンテージ・・・10種(画像はこのうちの1台) ●マッチボックス・・・2種 ●チョロQ・・・1種 ●京商・・・4種 ●1/64ミニカー・・・1種 ●海外ブランド日本車・・・1種 乗用車の開発は(資金面も含めて)大変だったということなのか、ラインアップを増やせず苦しかったのか、RR(リヤエンジン・リヤドライブ)の乗用車がいけなかったのか・・・。 もし今も日野が自社開発の乗用車を造っていたらどんなモデルなんだろう・・・ 恐らくマジメなクルマだと思うのですが、それ以上は想像できませんナ。 (商用車の日野コンマースの話は省略しました。いずれ何かの機会に。) 絶版品ミニカーMono-Rev(モノレブ)販売サイトへGO!
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